宮部継潤
みやべけいじゅん
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~安土桃山 [1528年~1599年]
宮部継潤とは?
宮部継潤(1528-1599)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶・武将である。父は土肥真舜、養父は宮部清潤。最初は比叡山で修業し僧侶となったが、還俗して浅井長政に仕えた。姉川の戦い後に羽柴秀吉の調略に応じ与力となり、浅井氏滅亡後は織田氏に正式に仕えることとなる。鳥取城攻めでは、猛将吉川元春の援軍を撃退し続ける困難な任務をこなした戦功から、攻略後は鳥取城の城代となる。本能寺の変以降も秀吉勢の主力が各地を転戦する中、鳥取城の守りを任されていた点から、非常に秀吉からの信頼が厚かったことが伺える。1590年、家督を息子に譲った後は秀吉直属の御伽衆となって政務に参加して検地奉行を務める等、秀吉の治世の確立に尽力した。1592年の文禄の役の際には肥前名護屋へ在陣、1593年に豊後国の検地を山口宗弘と共に担当、また因幡銀山を開いて銀山を経営、翌1594年には伏見城の普請にも参加している。1596年に隠居したのち、1599年に死去した。 滋賀県長浜市宮部町に、継潤が居城に修築して拠ったという宮部神社がある。神社のまわりには往時の壕跡かと思わせる水路が走っている。また、宮部神社の西方に、継潤が養子に入ったという湯次神社が鎮座している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
