久坂玄瑞
くさかげんずい
- 歴史的人物
- 男神・男性

東洋文化協會(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 藩士(長州藩)
江戸 [1840年~1864年]
久坂玄瑞とは?
久坂玄瑞(1840-1864)は江戸時代末期の人物。萩藩医、久坂良迪を父に持ち、妻に吉田松陰の妹、文がいる。幼少の頃から四書を学び、父の後を継いで藩医となった。九州に遊学した際、玄瑞は吉田松陰と出会い、外国排撃に関する激論を交わした末に松下村塾に入塾が決まる。この時、幼馴染みである高杉晋作を松下村塾に誘ったのも玄瑞であると言われている。松下村塾では二人を指して村塾の双璧と呼ばれていた。その優秀さは吉田松陰も認めており、防長年少第一流の男と評したと伝わっている。安政の大獄により吉田松陰が処刑された後は、玄瑞は長州藩の尊皇攘夷の旗頭となって精力的に活動した。もともとは大局を見据えて激しい衝突を避ける傾向にあった玄瑞だが、尊皇攘夷運動が激しさを増す中で彼自身も英国公使館の焼き討ちなど血を流す戦いに身を投じるようになった。そして最期は、禁門の変にて命を落とす。 玄瑞は、京都霊山護国神社(京都府京都市)に祀られている。明治元年に創立したこの神社は、志半ばに倒れた攘夷志士達の霊を祀るために建てられた。主祭神は坂本龍馬とされ、彼にまつわる祭りも行われているが、祭神の中には玄瑞の名もある。また、京都霊山護国神社をコンセプトに建てられた靖国神社(東京都千代田区)にも玄瑞は祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
山口縣護國神社
(山口県山口市平野二丁目2番1号)
