橘奈良麻呂
たちばなのならまろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公卿
奈良 [721年~757年]
橘奈良麻呂とは?
橘奈良麻呂(721-757)は奈良時代の人物。左大臣・橘諸兄の子で、橘清友らの親。長きに渡って朝廷の実権を握った橘諸兄の嫡子として生まれ、自身もまた生涯の間に左大臣まで昇進した。政治家としてだけでなく文人の才能もあり、万葉集にも橘奈良麻呂名義の和歌が3首掲載されたほど。父親が健在の間は順調に出世街道を歩んでいたが、藤原仲麻呂が急速に台頭してからは苦境に立たされている。そこで奈良麻呂は、藤原氏から縁遠い黄文王を天皇の跡継ぎに推すことで実権を奪い返そうと試みるが、他の貴族たちを味方につけることが出来ず失敗した。757年にはとうとう兵力を行使して藤原仲麻呂を排除しようと画策するが、山背王が「奈良麻呂らが兵器を準備している」と密告したことで計画が頓挫、俗に言う「橘奈良麻呂の乱」の首謀者として逮捕され、拷問の末に獄死したとみられている。 滋賀県には奈良麻呂が勧請したとされる上許曾神社が現存しており、政治と宗教が密接な関係にあった当時の政治家らしい彼の一面が垣間見える。また橘奈良麻呂の乱に巻き込まれた道祖王の怨霊を鎮めるべく建立された猿田彦神社をはじめ、奈良麻呂と間接的な繋がりのある神社も存在する。
ご神徳
ご神徳は不明です。
