吉田稔麿
よしだとしまろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(近世遺勲高名像伝)
祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1841年~1864年]
吉田稔麿とは?
吉田稔麿(1841-1864)は江戸時代末期の長州(山口県)藩士。長州藩の下級武士の家に生まれ栄太郎と名付けられる。稔麿とは後年改名した名前。生家の近くで吉田松陰が開いた松下村塾に入門し、兵法や兵学について学ぶ。同門の久坂玄瑞、高杉晋作と並ぶ「松下村塾の三秀」または入江九一を含む「松門四天王」と呼ばれ、師の松陰も稔麿の才能を高く評価していた。安政の大獄により松陰が刑死すると脱藩。その後、脱藩の罪は許され、江戸や京都において尊王攘夷運動で活躍するが、1864年に新選組の急襲によって起きた池田屋事件で、長州藩・土佐藩などの攘夷派志士と共に死亡。この稔麿の最期については、新選組または会津藩の兵士との戦いで討死したとも、池田屋を脱出したが重傷を負い自ら命を絶ったなど諸説ある。 稔麿は、松陰神社(山口県萩市)や櫻山神社(山口県下関市)などで祭神としてまつられている。英霊として幕末の攘夷志士たちと共に合祀されているが、特に松陰神社では、松陰を筆頭にその門下生を合わせた53柱が祭神としてまつられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
桜山神社
(山口県下関市上新地町二丁目六番二二号)
