吉田守隆 神社の神様 - 神社ファン

吉田守隆

よしだもりたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
吉田守隆

表記なし

祭神ランキング1527位

  • 家老(天童藩)

江戸 [1831年~1868年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 吉田守隆とは?

    吉田守隆(1831-1868)は江戸時代の人物。吉田守寛の子、吉田逸瀬の親。天童藩(山形県天童市)江戸家老の嫡男として生まれ、15歳で父親の後を継ぐ。大目付や奉行などの要職を歴任後、中老となる。藩校の改革や藩の財政に積極的に取り組んだ。下級藩士の生活を助けるための施策として将棋駒の生産を奨励する。将棋駒の生産に際しては、武士が内職を行うことへの反発も多かったが、将棋は戦略を練る訓練になるものであり、その駒を作ることも武士として恥ずべきことではないとして、現在も名産として知られる天童の将棋駒生産の基礎を築いた。守隆は、鳥羽伏見の戦い後、病弱であった藩主に代わり奥羽鎮撫使の先導役に任命される。平和的に問題解決が進むよう守隆は奔走したが、情勢が一変。先導役の責任を負い切腹した。 吉田守隆は天童護国神社(山形県天童市)に祀られている。守隆は鎮撫軍の敗戦の責を追って切腹したが、先導役として果たした役割は大きく、その功績は戊辰戦争後評価された。神階と祭祀金が下賜され、創建されたのが天童護国神社である。のちに戊辰戦争後の英霊も合祀された。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    吉田大八

    よしだだいはち

    その他

    祀られている主な神社

    護国神社
    (山形県天童市大字天童字城山13)