吉田清孝
よしだきよたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
安土桃山~江戸
吉田清孝とは?
吉田清孝(?-?)は安土桃山時代~江戸時代の人物。吉田宗清の子、吉田清久の親。近江国(滋賀県)付近の古代豪族である息長氏(おきながうじ)を祖先に持つ吉田家15代当主の次男として生まれる。島津義久に仕え、阿多(鹿児島県南さつま市)や隅之城(鹿児島県薩摩川内市)の地頭、津賀牟礼城の番大将を務める。島津義久とともに大坂で豊臣秀吉の傘下にいたが、関ヶ原の戦いの際には、義久の継室、息女を薩摩国(鹿児島県)に逃がすため奔走した。その後自身も薩摩国に戻り、国分衆となった。 吉田清孝は、八幡神社(鹿児島県鹿児島市)に祀られている。正八幡宮や本名八幡宮とも呼ばれる。八幡神社は、清孝の死後、その霊を神として祀るため、吉田権現として創建された。のちに、応神天皇らが合祀され、今の八幡神社となった。清孝の主君である島津義久の弟、島津歳久も祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
八幡神社
(鹿児島県鹿児島市本名町3577)
