吉水院宗信
きっすいいんそうしんほういん
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 僧侶
南北朝
吉水院宗信とは?
吉水院宗信は鎌倉時代末期から南北朝時代の奈良吉野金峯山寺の執行であり、吉水院の修験僧である。鎌倉時代には大塔宮護良親王を擁護して北条政権と対立。また、鎌倉幕府滅亡後には足利尊氏と仲違いし花山院に幽閉された後醍醐天皇が京を抜け出した際に吉野に迎え入れている。当時は後醍醐天皇に不利な情勢であり吉野においても後醍醐天皇をお招きすることには賛否が拮抗していたが、宗信が金峯山寺蔵王堂に吉野の僧、民を集め、後醍醐天皇擁護を一心に説き、結果300人の吉野の民が甲冑を身に着けて後醍醐天皇をお迎えしたと言われている。室町時代に記されたとされる「太平記」には宗信の活躍が描かれている。また、宗信は武芸においても秀でており、南朝方の僧将水野又太郎良春に伝授した棒術が現在においても無二流棒術として無形文化財に指定され、愛知県尾張旭市の無二流棒の手保存会により伝承されている。 宗信は吉水神社に後醍醐天皇、楠正成と共に祭神として祀られている。吉水神社はもともと宗信が所属していた金剛峰寺の僧坊吉水院であったが、明治維新の神仏分離令により吉水神社として独立した。神社の前身となる吉水院の歴史は古く、奈良時代初期に役行者創建とされ、源義経が逃亡中に静御前と身を潜めたのも吉水院である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
吉水神社
(奈良県吉野町吉野山579)
