菊池武朝
きくちたけとも
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
南北朝~室町 [1363年~1407年]
菊池武朝とは?
菊池武朝(1363-1407)は南北朝から室町時代にかけての人物。武光の孫で、菊池家17代当主に当たる。祖父と父を次々に亡くし、わずか12歳で家督を継ぐことになった。翌年には侍大将として九州探題今川了俊の大軍勢を退ける功績を挙げ、後征西将軍として九州に入った良成親王に仕えて戦うも、その後は敗戦が続きついには南北朝の合一を受け入れざるを得なくなる。武朝の失脚は避けられないと思われたが、南北朝合一後、武朝はかつての敵方からの進言で改めて肥後守護に任命された。これは、肥後における菊池氏の功績の大きさを示している。武朝と関連する神社として、北宮阿蘇神社(熊本県菊池市)が挙げられる。この神社は武朝が阿蘇北宮を勧請して氏神としたと伝わっており、御神体の主神のほか10体の木造男女神坐像、1体の木造僧形男神坐像が納められている。それらも武朝が大願主となって作らせたもので、現在では県指定重要文化財となっている。また、北宮阿蘇神社の傍を流れる菊池川には菊池一族御刀洗所、万病の神水と刻まれた石碑があり、菊池氏一族がこの地で刀を洗ったと伝わっている。 武朝は、菊池氏一族を祀る菊池神社(熊本県菊池市)に合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
流川熊野座神社
(熊本県菊池市七城町流川230)
