菊池武時
きくちたけとき
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 武人
鎌倉 [1292年~1333年]
菊池武時とは?
菊池武時(1292-1333)は鎌倉時代の人物。菊池武房の孫に当たり、菊池氏の第12代当主である。家督争いの結果、幼少にして当主の座に就くことになり、祖父武房から弓道や文学について学びよく励んだ。1333年、鎌倉幕府打倒を掲げた後醍醐天皇に応え、少弐氏、大友氏と共謀して九州における幕府の出先機関である鎮西探題を襲撃する。しかし、二氏の裏切りを受け敗色が濃厚となる中、共に戦っていた息子達を逃がし、己は命がけで最期まで戦いに挑んだ。この場面は袖ヶ浦の別れとして後世まで語り継がれ、彼の忠節ぶりは後に息子武重の肥後守就任という形で報われる。この戦いでは、武時は首を切られたことに気づかず走り続けたという伝説が残されており、現在は首と胴が落ちたとされるそれぞれの場所に菊池霊社、菊池神社を建立し、祀られている。また、武時は出家し寂阿という法名も名乗っている。蒼園山願行寺(熊本県玉名市)を一族の祈祷所とし、山門を寄贈した。この時、突然雹が降ってきたとの言い伝えも残されている。 武時が祀られている菊池霊社(福岡県福岡市)には、武時の首を祀る首塚が建てられている。また、胴塚がある菊池神社(熊本県菊池市)には息子達も合祀されており、境内の菊池歴史館には菊池千本槍などの遺物が展示されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
