加藤民吉
かとうたみきち
- 歴史的人物
- 男神・男性

KAMUI(CC 表示-継承 3.0)
祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1772年~1824年]
加藤民吉とは?
加藤民吉(1772-1824)は、江戸時代後期の陶工。同じく陶工である父・加藤吉左衛門景遠の次男。尾張瀬戸の人物で、瀬戸窯の磁祖とされる。1801年に熱田前新田に百姓として入植し、奉行の津金文左衛門の勧めにより父とともに磁器の焼成を試みる。文左衛門の援助で熱田新田古堤に染付焼窯を築き、のちに瀬戸村へ移窯。1804年、父の吉左衛門や津金文左衛門の養子である津金庄七らによってより進んだ磁器焼成技術を学ぶため九州へと派遣される。初めは肥後天草の高浜焼を学び、次に肥前平戸の三河内焼、その後に佐々市ノ瀬焼の陶工・福本仁左衛門に師事し、磁器焼成技術を学んだ。有田では築窯なども学び、高浜焼の陶工上田源作から上絵具を伝授される。1807年に帰国し、染付焼御用達となった。民吉が持ち帰った技術で瀬戸の磁器焼成技術は飛躍的に向上し、陶器窯の本業焼に対して「新製」と呼ばれる磁器焼成が盛んになり、瀬戸は東日本の一大磁器産地として非常に栄えることとなった。 愛知県瀬戸市には加藤民吉の請願によって1824年に置かれた遥拝所が、窯神神社として残っている。1826年には民吉を「丸窯神」として合祀し、この頃に「窯神社」と改称したと伝えられており、境内には民吉像も存在している。
ご神徳
陶器業守護
別称・異称
丸窯神まるがまのかみ
その他
祀られている主な神社
窯神社
(愛知県瀬戸市窯神町112番)
