間部詮房
まなべあきふさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 藩主(厚木藩
- 高崎藩
- 村上藩)
江戸 [1666年~1720年]
間部詮房とは?
間部詮房(1666-1720)は江戸時代の人物。父に西田清貞を持ち、弟に間部詮言がいる。猿楽師、喜多七太夫の弟子であったが、徳川家宣に誠心誠意仕えたことで重用され、幕臣にまで出世する。従五位下越前守に任じられたこの時の俸禄は1500俵であったが、2年後には一万石の大名へと躍進し、老中と同格の扱いとなった。日本の歴史上において、猿楽師であった者が大名になった例は他にない。家宣が将軍に就任してからは、新井白石と共に正徳の治を断行するなど家宣の補佐を勤め、幕政を主導した。しかし、一方で成り上がり者の詮房をよく思わない者も多く、家宣の死後、その庇護を受けられなくなった詮房は失脚してしまう。晩年の1710年、高崎城の城主となった詮房は城下町の拡大に取り組む一方で、少彦名命を主祭神とする小祝神社(群馬県高崎市)の再建にも努めた。現存している本殿は高崎市の神社本殿としては最古であり、高崎市指定重要文化財に指定されている。 詮房は、弟の詮言や子孫の詮勝と共に松阜神社(福井県鯖江市)に祀られている。神社が建つ場所にはかつて間部家の別邸である松阜仙窟があったと言われている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
