梶原景時
かじわらかげとき
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1003位
- 武人
平安~鎌倉 [1140年~1200年]
梶原景時とは?
梶原景時(1140-1200)は平安時代末期から鎌倉時代初期の人物。坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族で、源頼朝に仕えた武将であり歌人としても知られている。当初は平家側の武将であったが、石橋山の戦いで敗走した頼朝を見逃したことをきっかけに頼朝に重用され、御家人の統率に当たる侍所所司、厩別当を務める。一ノ郎党と呼ばれる程頼朝の信認厚い忠臣だったが、一方で源義経をはじめ多くの御家人を頼朝への讒言によって死に追いやったとして悪人の評を得ることもある。その結果か、頼朝亡き後は梶原景時の変にて御家人から弾劾を受け、鎌倉を追放、ついには滅ぼされた。景時の墓は万福寺(東京都大田区)にある。彼を弔った梶原塚は将軍塚とも呼ばれ、江戸時代の地誌である新編武蔵風土記稿に記述がある程古くから知られている。しかし、梶原塚自体は開発により消滅している。 また、景時は御霊神社(神奈川県鎌倉市)の創建に関わっているとも言われている。この神社は梶原氏の祖と伝わる鎌倉権五郎景政をはじめとした五氏を祭神としており、景時もその中に含まれていた。現在は特に有名である鎌倉権五郎景政のみを祭神としているが、江戸時代までは景時の像も安置されていたという。
ご神徳
ご神徳は不明です。



