海野幸氏 神社の神様 - 神社ファン

海野幸氏

うんのゆきうじ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
海野幸氏

緑亭川柳(英雄百人一首)

祭神ランキング1527位

  • 武人

鎌倉 [1172年~]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 海野幸氏とは?

    海野幸氏(1172-?)は、鎌倉時代初期から中期の武士で、信濃国の名族滋野氏の嫡流とされる海野氏の当主。父は海野幸親。鎌倉時代初期を代表する弓の名手として知られている。初めは木曾義仲の御家人だったが、源頼朝のもとへ人質となった義仲の子・義高とともに鎌倉へ移動した。1184年、義仲が討死すると義高の死罪処分が決まった。幸氏は義高が鎌倉から逃亡するのを助けるため、時間稼ぎの身代わりとなる。幸氏は義高の逃亡発覚から拘禁されていたが、逃亡幇助は不問とされ、主君への忠誠心を認められ頼朝の警護役に抜擢された。頼朝の御家人となった幸氏は、1188年から約80年間に渡り弓の名手として頻繁に「吾妻鏡」に登場する。日頃から将軍の狩りの御供をすることも多く、1193年の頼朝が行った富士山の裾野での狩りや、1195年の将軍家東大寺供養、1197年の頼朝善行寺参詣の折にも、幸氏・望月三郎・祢津次郎らが付き従った。幸氏は幕府軍の一員として合戦にも参加しており、1201年の越後の城氏の反乱の鎮定では先陣を切って負傷するなど忠勤ぶりが伺える。1237年、初めて鶴岡放生会流鏑馬射手を勤めることになった北条時頼に、流鏑馬・笠懸等の故実を伝えた。1250年に閑院殿造営の一部を負担した海野左衛門入道と言われる人物も幸氏と考えられており、当時としてはかなりの長命だったことがわかる。 長野県東御市本海野に海野家ゆかりの白鳥神社がある。1191年に太平寺にあった白鳥神社を現在の土地へと移したのは、幸氏である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    愛宕神社
    (長野県上田市御嶽堂1148)