河野通賢 神社の神様 - 神社ファン

河野通賢

こうのみちたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
河野通賢

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 武人

戦国 [~1587年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 河野通賢とは?

    河野通賢(1522-1581)は戦国時代の人物。予州家の河野通存の子とされてきたが、近年では河野通直の実子であったという説が有力になっている。伊予国(愛媛県)の有力豪族である河野氏のもとで生を受けた通賢は、1543年に当主であった義兄の河野通政が早世したことで若くして家督を継ぎ、高森城および岡本城の城主として国政の指揮を執った。しかし当時の伊予国は長宗我部元親や大友宗鱗といった有力な武将にたびたび侵攻されていた上、家臣が離反するトラブルも相次いでおり、通賢の境遇は決して順風満帆といえる状況にはなかった。それでも毛利元就と従属的同盟を結ぶことでなんとか国を維持し続けた通賢だったが、内憂外患の連続にとうとう体調を崩し、1581年には病に倒れてこの世を去っている。ちなみに通賢は存命中、「河野通宣」と改名しているため現存する書物にも表記ゆれが多い。 現在、通賢は愛媛県松山市に位置する東山神社に「河野九郎通賢」の名で主祭神として祀られている。同神社の境内にある神名石には、怪火の出現などについてまとめた「河野通賢亡霊伝説」の記載が残されており、当時の人々が通賢に畏れの感情を抱いていたことを伺わせる。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    東山神社
    (愛媛県松山市東野四丁目661番)