加藤景廉
かとうかげかど
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年
祭神ランキング1527位
- 武人
平安~鎌倉 [1156年~1221年]
加藤景廉とは?
加藤景廉(1156-1221)は平安時代末期~鎌倉時代初期の人物。加藤景員の次男で、遠山氏の始祖・遠山景朝の親。伊勢国の氏族・加藤氏で生を受けるが、父が伊勢で平家の侍を殺害したため連座して本領を離れ、伊豆国の豪族である工藤氏の元に身を寄せている。1170年には剛勇無双を謳われた武将・源為朝の追討軍に従軍しており、他の兵士たちが為朝を恐れて攻め込めない中、景廉だけは為朝がすでに自害していると見極めて先陣を切って上陸、狙い通りにその首をはねて名を揚げた。また、源頼朝が平氏打倒のために挙兵するとその麾下に参じ、平氏の目代・山本兼隆を討ち取っている。景廉はこの他にも数々の武功を挙げているため上からの信任も厚く、頼朝の重臣として長く活躍した。しかし三代将軍・源実朝が暗殺された際には責任を感じて出家し「覚蓮房妙法」を名乗るようになる。晩年には本領に戻って真言律宗金剛寺を建立し、源平合戦や奥州合戦での死者を弔いつつ余生を過ごした。 現在、景廉は岐阜県の八幡神社の御祭神となり、子の景朝は武並神社に祀られている。武並神社から八幡神社まで景朝の御神体を運ぶ伝統的な神事「神輿渡御行列」は岐阜の県重要無形文化財にも指定されている。
ご神徳
武運長久
祀られている主な神社
八幡神社
(岐阜県恵那市岩村町字大路18番地)
