益田親施
ますだちかのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

石田渓岳 (パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 家老(長州藩)
江戸 [1833年~1864年]
益田親施とは?
益田親施(1833-1864)は江戸時代末期の人物。益田元宣の三男として生まれ、益田家第33代当主にして、須佐領主益田家の14代目、長州藩永代家老、そして長州藩三家老の一人にも数えられる。父が亡くなり家督を継いだ年に吉田松陰の元に入門し、攘夷志士として活躍することになる。「朝廷に対しては忠節、幕府に対しては信義、祖先には孝道」という長州藩の三大原則を打ち出したことで有名。1864年の禁門の変では、久坂玄瑞らと共に出陣して長州軍の指揮を執るが、薩摩藩・会津藩連合軍の前に敗れ長州に帰国した。後にこのときの責を問われ、身柄を預けられた徳山藩の惣持院にて自刃した。また、惣持院は現存しておらず、跡地に益田親施幽閉賜剣之地と刻まれた石碑が残されている。 親施は笠松神社(山口県萩市)に祀られている。御祭神名は高正大神と言い、親施の旧臣たちによって建立された。境内の鳥居や灯籠には実際には存在しない元治3年や4年の日付が刻まれており、これは慶喜の応じるとも取れる慶応の元号を認めないという親施や家臣たちの悲願の表れである。笠松神社には親施の他、益田家初代国兼から36代兼施までを配祀している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
