益田元祥
ますだもとなが
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野松栄(如天玄勲賛)(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1558年~1640年]
益田元祥とは?
益田元祥(1558-1640)は戦国時代から江戸時代の人物。岩見(島根県)の国人益田藤兼を父に持ち、父と共に三代にわたって毛利家に仕えた。その縁から、はじめの主君である毛利元就には元服の儀式の際に加冠を行う烏帽子親を務めてもらった。九州征伐や朝鮮出兵でめざましい活躍を見せ、武略に長けた武将として知られている。一方、智将と名高い黒田官兵衛を言い負かし、二万石の負債を抱えて財政難に喘いでいた毛利家を救うなど、頭脳面でも優れていたことが窺える逸話も数多く残されている。特に、徳川家康は元祥の行政手腕を高く評価しており、関ヶ原の戦いの後に彼を重用しようと誘ったが、毛利家への忠誠を理由に断られている。その後は新しい領地となった萩藩の財政再建にも腕をふるい、その功績から「萩の土塀は須佐で持つ」という名言も生まれた。元祥と関わりの深い神社として、染羽天石勝神社(島根県益田市)が挙げられる。元は725年に瀧蔵権現と称して創建された寺で、益田氏の庇護を受けて発展するも明治の廃仏毀釈に伴い廃絶となり、社名を染羽天石勝神社に改めた。棟札の写しには、1581年に本殿が焼失した折、元祥が大檀那となって再建されたとある。 元祥は笠松神社(山口県萩市)に祀られている。御祭神は彼の子孫にあたる益田右衛門介親施公で、元祥は配祭神となる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
