明菴栄西
みょうあんえいさい
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング4751位
- 僧侶
平安~鎌倉 [1141年~1215年]
明菴栄西とは?
明菴栄西(1141-1215)は平安~鎌倉時代の僧。10代の頃から天台教学や密教などを学んでいた栄西は、最先端の仏教を学ぶため、28歳と47歳の時に宋へ渡る。二度目に訪れた宋において、臨済宗の僧に出会った栄西は禅宗について学び、臨済宗の法を受け継ぎ日本へ帰国する。帰国後の布教は困難を伴ったが、博多に日本初の禅寺として聖福寺を開き、禅宗こそ国を護り繁栄させるために必要であると説いた「興禅護国論」を執筆するなど他宗との共存に努めた。その後鎌倉幕府の庇護を受け、北条政子が創立した寿福寺の初代住職となる。さらにその2年後には、栄西を初代住職とした天台・密教・禅宗の修行の場となる建仁寺が京都に建立された。また栄西は、宋より持ち帰った茶の種を栽培し、当時は廃れていた茶を飲むという習慣を広めた。茶の飲み方、栽培、効能についてまとめた「喫茶養生記」は日本最古の茶の書であり、栄西は日本の茶祖ともよばれている。備中(岡山県)の吉備津神社で権禰宜《ごんねぎ》の職階にあった父の元に生まれた栄西だが、自身は11歳で地元の安養寺の僧に師事し、14歳で比叡山延暦寺に登り出家、僧侶となった。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
千光国師せんこうこくし
その他
