雨森芳洲
あめのもりほうしゅう
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 学者
江戸 [1668年~1755年]
雨森芳洲とは?
雨森芳洲(1668-1755)は江戸時代中期の儒学者。近江国(滋賀県)の町医者の子として生まれ、12歳頃から京都で医学を学ぶ。18歳頃から江戸に出て、朱子学者・木下順庵の門下生となり、同門の新井白石などと共に木門十哲に数えられる。木下順庵の推薦により21歳で対馬藩に仕官。対馬国(長崎)へ赴任し、約40年間にわたり儒学者として藩主らへの講義をおこなう。また中国語、朝鮮語に通じ、外交でも活躍。朝鮮方佐役(外交の実務担当者)となり、1703年から1705年にかけて釜山(韓国釜山広域市)に滞在。1720年には朝鮮王の即位を祝う対馬藩の使節団に参加し、釜山に渡っている。 江戸時代には神道と儒教の一致を説き、儒教の立場から神道について考える儒家神道という思想が提唱されるようになった。この思想は神道と儒教、どちらに重きをおくかで意見が分かれたが、芳洲は神道を主とする神主儒従派であった。芳洲は三種の神器が仁・明・武の三徳を表すものであるとし、儒教は神道への注釈であるとの説を唱えた。 芳洲は滋賀県長浜市の芳州神社に主祭神としてまつられている。同じ敷地に建つ雨森芳洲庵には著書や遺品、朝鮮通信使の資料などが展示されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
芳州神社
(滋賀県長浜市高月町雨森1166)
