稲玉徳兵衛 神社の神様 - 神社ファン

稲玉徳兵衛

いなだまとくべえ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • その他

江戸 [1822年~1872年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 稲玉徳兵衛とは?

    稲玉徳兵衛(1822-1872)は江戸時代末期の人物。坂木村(現在の長野県坂城町)に生まれ、村の年寄役を務めていた。当時の坂木村周辺は荒れ果てた原野であり、耕作地に乏しかったという。さらには千曲川が頻繁に氾濫しては、なけなしの田畑まで流し去ってしまうため、農民たちは非常に貧しい暮らしを強いられていた。そうした苦境を打破すべく、徳兵衛は田畑造成のために山野を大開発することを提唱。1853年には農民353人分の署名を集め、村当局と代官所に開発の許可を願い出ている。ところが徳兵衛らの開発工事によって下流の水田に水不足が生じることを危惧した一部の反対派農民が、夜間開墾地の事務所を焼き払うなど激しい対立を見せたため、計画の実現は決して容易ではなかった。しかし徳兵衛は幕府に直訴するなど奔走し、ついには218ヘクタールに渡る広大な土地の開墾を成功させている。 村人たちはこうした徳兵衛の偉業を讃え、1856年には昌言社なる神社を創建した。昌言は徳兵衛の名であり、ご祭神は稲玉徳兵衛昌信。存命中に神として祀られた人物として、1930年には「生きながら神と祠られた稲玉徳兵衛翁」という書籍も発行されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    昌言神社
    (長野県坂城町大字坂城8340-ロ)