一条信能
いちじょうのぶよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公卿
鎌倉 [1190年~1221年]
一条信能とは?
一条信能(1190年-1221年)は、鎌倉時代初期の公家である権中納言一条能保の次男として生まれる。父の能保は源頼朝の妹婿。その関係もあり一条家は、頼朝にとっては朝廷に対して、朝廷にとっては幕府に対して、それぞれを取り持つ重要な位置を占めるようになる。信能は左近衛中将、蔵人頭などの要職に任じられ、また父の代からの鎌倉幕府との親交もあり、鎌倉幕府三代将軍源実朝の右大臣拝賀の際には鎌倉に下向している。1219年に実朝が北条家によって暗殺された際にも京に戻ることを逡巡したために、一時は後鳥羽上皇によって解官されるのではないかとの風説も流布されたが、帰郷後は後鳥羽上皇の側近の地位に復帰を果たし鎌倉幕府打倒の策謀に関わるようになる。やがて幕府に近い九条家が宮廷より追放され、1221年には北条義時追討の宣旨により承久の乱が勃発する。しかし、承久の乱は19万の兵力で京を制圧した幕府側の圧倒的な勝利となり、結果として北条家の執権政治の体制は盤石なものとなった。宇治川芋洗方面の防御の将として出陣した信能もまた乱の中心人物として遠山荘岩村(愛知県恵那市)の相原で処刑された。 信能は岩村神社で主祭神として祀られている。もともと信能は処刑された地にて村人によって小さい祠が立てられた上、若宮社と称され供養が続けられてきた。1880年には明治天皇が中山道御巡幸の際に信能の英霊を御追認され、1881年には若宮社から岩村神社に改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
岩村神社
(岐阜県恵那市岩村町字若宮750番地)
