井上正鉄
いのうえまさかね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- 学者
江戸 [1790年~1849年]
井上正鉄とは?
井上正鉄(1790-1849)は江戸時代後期の国学者であり神道家。上野国館林藩士安藤真鐡の次男として江戸日本橋で生まれ、母方縁者の養子となり井上姓を名乗る。賀茂真淵の門人であった父親の影響もあり、正鉄は医学や観相学をはじめとして、国学、易学、禅学などの様々な学問を修め、1840年には足立郡梅田神明宮の神職となる。この頃から神道をよりどころとした独自の宗教観をもって布教活動を始めるが、江戸幕府からは新義異流、いわゆる邪教を流布しているとの疑いをもたれる。この嫌疑に対して「神道唯一問答書」という書をもって寺社奉行に対して弁明を行うが嫌疑は晴れず、三宅島に流罪となる。配流後は門弟の援助を受けつつ三宅島にて医術を施したり、独自の布教活動を行うなどの活動をしていたが、ついには赦免されず三宅島で没する。明治維新後に新義異流の罪は免じられ、正鉄の門弟である坂田鉄安などによって神道禊教として正鉄の教えがまとめられ、教祖として崇められている。 正鉄は山梨県の身曾岐神社で天徳地徳乍身曾岐自在神という名で祭神として祀られている。身曾岐神社は禊教をまとめた坂田家によって神職が受け継がれている神社であり、山梨県神社庁の監督する神社ではない。また、正鉄は生前に神職となった梅田神明宮においても祭神として祀られている。 ちなみに、正鉄は信者の間では正鐵と表記する。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
身曾岐神社
(山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401)
