井伊共保
いいともやす
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
平安 [1010年~1093年]
井伊共保とは?
井伊共保(1010-1093)は平安時代の人物。遠江守・藤原共資の養子で、井伊共宗の親。引佐群井伊谷(現在の静岡県浜松市)にあった八幡宮の井戸の傍らに捨てられていた赤子が後の共保となる。ただし共保の出生については、井戸から生まれたという俗説や、井端谷篤茂の娘と藤原共資の間に生まれた実子であるという説も伝わっている。藤原共資の養子として育てられ、1032年に家督を継いだ共保は「井伊氏」を称するようになり、その事実上の初代として語り継がれることとなった。これが後に井伊直虎や井伊直弼といった歴史上の重要人物を幾人も輩出する名門・井伊氏の始まりである。 共保は自身のルーツである井戸が置かれていた渭伊神社を来産土神として厚く信仰していたとされ、「井伊氏」の名称も神社のあった井伊谷の地名から取るなど、随所に信心深さが垣間見える。また井伊氏の家紋に橘があしらわれているのは、共保が拾われた井戸のそばに橘の木が生えていたという伝説にちなむ。共保が84歳で没した後も井伊氏は順調に繁栄を遂げ、1842年には子孫の井伊直亮によって共保の750回忌も執り行われた。その際、龍潭寺の参道脇に建てられた社殿には共保が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
伊頭鞆安彦いずともやすひこ
その他
祀られている主な神社
井伊神社
(滋賀県彦根市古沢町1112)
