惟宗広言
これむねのひろこと
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公家(貴族)
- 歌人
平安 [1132年~1189年]
惟宗広言とは?
惟宗広言(1132~1189)平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての貴族であり歌人。父は日向守の惟宗基言。妻は比企能員の妹、丹後の局とされているが、定かではない。 代々大宰府府官を輩出した家柄であり、広言も文章生から大宰少監、式部丞を務め、1186年に五位筑後守となった。 俊恵の歌林苑で歌人として活動し、崇徳院歌壇に参加。1172年の広田社歌合、1178年の別雷社歌合、1186年の大宰権帥吉田経房が主催した歌合などに出詠した。藤原教長などと交流しており、今様の巧者として後白河院に仕えた。私撰集『言葉集』を編纂。家集に『惟宗広言集』がある。また『千載和歌集』には5首、『玉葉和歌集』に1首が収められている。 子には島津氏の祖とされる惟宗忠久がいる。忠久については母の丹後の局が源頼朝の寵愛を受けて産んだ子で、北条政子の嫉妬から守るために丹後の局を広言に与え、広言のもとで育てたという言い伝えがある。当時広言は鍋ヶ城に居城していたといわれ、いちき串木野市の鍋ヶ城の中央には広言の墓と伝えられている墓が建っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
一之宮神社
(鹿児島県鹿児島市東俣町74)
