伊豫田与八郎 神社の神様 - 神社ファン

伊豫田与八郎

いよだよはちろう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
伊豫田与八郎

表記なし

祭神ランキング1527位

  • その他

江戸~明治 [1822年~1895年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 伊豫田与八郎とは?

    伊豫田与八郎(1822年-1895年)は幕末の岡崎藩の大庄屋といわれた家柄である。かつては「安城が原」や「五ヶ野が原」などと呼ばれたやせ細った台地に農業、工業に活用できる用水を整備した功労者の一人。もともとは碧海郡和泉村の豪農の都築弥厚が1808年に矢作川から30km以上の大用水路の計画を立て幕府に嘆願したが、その際には実現しなかった。与八郎の手によって幕末に再度計画が立案されたが用水の地元となる刈谷藩と板倉藩の同意が得られずに一旦は頓挫する。しかし、明治維新後の1872年に用水路の計画を提出し、1875年には水路掘割溜池不毛地開拓再願書を愛知県令に再提出。ついに用水工事を実現させる。しかし、公共性の極めて高い工事にも関わらず費用は民間調達となり与八郎は私財を投げ打ち、借金を行って資金調達に奔走した。工事翌年には第一期の完成を見たこの用水は「明治用水」と命名され全国に先駆けた大規模な灌漑用水の成功事例として高く評価され、枯れ果てた台地は、日本のデンマークと評されるほどに潤い、農工業の発展に大きく寄与する結果となった。 与八郎は明治川神社に祭神として祀られている。主祭神は大水上祖神であり、大山祗大神と同一視されているが諸説ある。与八郎は1942年に合祀され相殿神となった。明治川神社には与八郎の他にも、明治用水の完成に尽力した都築弥厚、岡本兵松、西沢真蔵もまた祭神として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    明治川神社
    (愛知県安城市東栄町柳原9)