伊奈忠順
いなただのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 幕臣(関東郡代)
江戸 [~1712年]
伊奈忠順とは?
伊奈忠順(?-1712)は江戸時代の人物。伊奈忠常の子、伊奈忠逵の養父。関東郡代の子として生まれる。家長であった兄の死去により、関東郡代の職と武蔵国赤山(埼玉県川口市)を受け継ぐ。在職中の1707年、宝永の大噴火と呼ばれる富士山の噴火があり、忠順は災害復興の責任者を命じられる。住む場所や職を失った農民の生活安定を含め、近隣の復興に尽力したが、復興途中に死去。死因について、はっきりとした記述は残されていないが、「飢えた村民に幕府の備蓄米を配ったことが咎められ、切腹を命じられた」という話が伝わっている。 忠順は、伊奈神社(静岡県小山町)に祭神として祀られている。災害復興の責任者となった忠順は、幕府からも見捨てられた富士山噴火の被災地を、自分の命と引き換えにでも救おうとし、結果命を落とした。忠順に救われた農民たちは、忠順の死を悼み、菩提を弔うために幕府に隠れて小さな祠を建てた。明治に入り、伊奈神社が建立され、忠順の銅像も境内に建てられている。
ご神徳
地域安全
祀られている主な神社
八劔神社
(東京都調布市菊野台三丁目42番1)
