伊東祐勝
いとうすけかつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
安土桃山 [1570年~1593年]
伊東祐勝とは?
伊東祐勝(1570-1593)は戦国時代の武将。父親は日向国(宮崎県)伊東氏第12代当主伊東義益、母親は一条房基の娘阿喜多。父義益が早逝したために祖父の伊東義祐に養育される。伊東くずれにより領地より追われると母の縁続きである大友宗麟を頼って豊後に移り庇護される。豊後では文学に精励する傍ら宗麟の影響をうけキリスト教の洗礼を受ける。洗礼名はジェロニモである。当時織田信長はキリスト教の布教に力を入れ、安土にセミナリオを開校。一期生として入学したキリシタン大名の子弟25名が入学し、祐勝もその一人であった。その優秀さから、天正遣欧少年使節の代表の候補者となるが、安土に逗留していたために長崎からの出航に間に合わず、伊東マンショが代わって遣欧使節の一員として渡欧した。その後、叔父の伊東祐兵が飫肥城に復帰し伊東氏を再興すると祐勝も参じ、文禄の役では兄伊東義賢らと共に朝鮮に渡っている。その帰国途上病気により死亡した。 祐勝は宮崎県宮崎時にある加護神社に祭神として祀られている。加護神社は伊東祐邑を祭神として建立された神社であり、江戸時代に入り祐勝も大明神として合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
加護神社
(宮崎県宮崎市大字郡司分字国富2225番)
