伊東義益
いとうよします
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(宮崎県史 通史編 中世 パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国 [1546年~1569年]
伊東義益とは?
伊東義益(1546-1569)は戦国時代の武将。父親は日向国第11代当主伊東義祐。伊東氏は鎌倉時代初期に伊豆国伊東荘を本拠としていた豪族であり、その一族が日向国へ下向し日向国飫肥藩藩主となった。義益は正室の子ではなかったが兄の歓虎丸が早逝したため家督を継承した。父義祐は佐土原城を本拠にし、義益は家督継承後も都於郡城に留まり父と子で二頭政治を敷いた。この時、伊東四十八城と呼ばれる数多くの支城を国内に築き日向伊東氏の全盛を築いたと言われている。義益は温厚で優れた知勇を持つ領主として家臣、民衆双方から慕われる存在であった。義益は領内の岩崎稲荷に参詣中に病に倒れ死去した。葬儀の際には中全ての者が剃髪して菩提を弔ったと言われ、この事からも義益の人望を伺うことが出来る。 義益は宮崎県宮崎市にある加護神社に祭神として祀られている。加護神社は加護八幡宮とも称し、応神天皇を主祭神として伊東家4代の当主を相祭神として祀る神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
加護神社
(宮崎県宮崎市大字郡司分字国富2225番)
