以仁王
もちひとおう
- 歴史的人物
- 男神・男性

東京国立博物館所蔵(CC 表示 4.0)
祭神ランキング405位
- 皇族
平安 [1151年~1180年]
以仁王とは?
以仁王(1151-1180)は平安時代末期の皇族。後白河天皇の第三皇子だが、平家物語の上では兄の守覚法親王が仏門に入ったため第二皇子とされており、母親は藤原季成の娘である成子。歌人として名をはせた式子内親王を姉に持つ。 高貴な血筋の生まれの上に才覚もあったとされ、歌や笛にも長けており、非常に優秀な人物だったことが伺える。次期天皇と目されていたが、平滋子の度重なる妨害により皇位から遠ざけられていた。さらに1179年に父の後白河天皇が鹿ケ谷の策略により幽閉されると、以仁王が所領していた土地まで平清盛に奪われるという憂き目に遭う。翌年には高倉天皇の子の安徳天皇の即位が決まり、以仁王はついに平家を滅ぼすことを決心。1180年の4月、源頼政の勧めで挙兵。しかし準備の半ばで情報が洩れ、平家の圧力で皇族籍を剥奪、追われる身となる。頼政らも奮闘したが及ばず、以仁王は同年5月26日に南山城の幡河原で平氏家人の藤原景高・伊藤忠綱らの討伐軍に討たれた。 三条高倉に住んでいたことから高倉宮と呼ばれ、京都府に2ヶ所と福島県に1ヶ所ある以仁王を主祭神として祀る神社はいずれも高倉神社という名前になっている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
高倉宮たかくらのみや
その他
三条宮さんじょうのみや
その他
