安達盛長
あだちもりなが
- 神話・伝説
- 男神・男性

国書刊行会 - 集古十種(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
安達盛長とは?
安達藤九郎盛長(1135-1200)は鎌倉時代前期の人物。丹後内侍を妻とし、安達景盛らの親。南北朝時代の系図「尊卑分脈」によれば、藤原北家魚名の流れをくむ小野田三郎兼盛の子とされるが、真偽のほどは定かではない。盛長の代に安達姓を称したともいわれるが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には藤九郎でのみ記載があり、自身は姓を持たなかったとも考えられている。源頼朝の乳母の1人である比企尼は妻・丹後内侍の母とされ、娘婿であった盛長は比企尼を通じて伊豆配流時の頃より頼朝に仕えていたとされる。上野国(群馬県)奉行、三河国(愛知県)守護を務め、正治元年に頼朝が没すると出家し蓮西と号した。2代将軍源頼家の就任にあたり幕政は元老御家人13人の合議制となり、盛長はその1人として参与したが、翌年66歳で死去した。創建年代は不詳ながら、八幡神社(神奈川県厚木市)は建久3年に盛長が社殿を再建し、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられている。 盛長は盛長神社(和歌山県西牟婁郡)で主祭神としてまつられている。創建について社伝では、神託があり盛長を神としてまつったとする。江戸時代は安達藤九郎盛長宮と呼ばれ、明治元年に現社名に改称した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
盛長神社
(和歌山県白浜町534番地)
