伊佐波登美命
いざわとみのみこと
- 神話・伝説
- 男神・男性

祭神ランキング207位
伊佐波登美命とは?
伊佐波登美命は『倭姫命世記』などに登場する男神。志摩国の有力氏族であった磯部氏の祖神と伝えられている。『倭姫命世記』はもと「大神宮神祇本記」と称したとされ、伊勢神宮に関する古い伝承を含みながら改編を重ね、鎌倉時代に現在につながる形が成立したと考えられている。
『倭姫命世記』では、垂仁天皇の皇女で天照大神の御杖代となった倭姫命が、神宮に奉る御贄を求めて志摩国を巡った際に伊佐波登美命が登場する。伊佐波登美命は倭姫命を迎え、当地を天照大神に奉ったとされる。倭姫命はその地を天照大神へ食物を奉る御贄地と定め、伊雑宮を置いたと伝えられている。この伝承から伊佐波登美命は、志摩における天照大神の祭祀や御贄の奉献に関わった土地の神・祖神として位置づけられている。
伊雑宮は現在も伊勢神宮内宮の別宮で、天照坐皇大御神御魂を祭神として祀る。古くから志摩地方における神宮信仰の重要な拠点であり、磯部の地と深い関係を持つ。ただし、伊佐波登美命と倭姫命による伊雑宮創建の物語は『古事記』『日本書紀』には記されておらず、中世に成立した『倭姫命世記』などに伝えられた伊勢神宮の伝承として捉える必要がある。
伊佐波登美命は三重県鳥羽市安楽島町の伊射波神社に祀られている。伊射波神社は『延喜式神名帳』にみえる志摩国答志郡の式内社「粟嶋坐伊射波神社」に比定される神社の一つで、伊佐波登美命は志摩の開拓に関わった神として伝えられている。後世には志摩の土地や海、人々の生活を守護する神として信仰されている。
エピソード
『倭姫命世記』によれば、天照大神の祭祀に適した地を求めて諸国を巡った倭姫命は、志摩国の伊雑方上へ至った。そこで倭姫命を迎えたのが伊佐波登美命である。伊佐波登美命は志摩の国神として土地を差し出し、倭姫命はその地を天照大神へ海産物などを奉る御贄地に定めた。そして天照大神の御魂を祀る宮として伊雑宮を設けたという。このため伊佐波登美命は、伊勢神宮と志摩の海産物供給地とを結ぶ重要な神として描かれている。
ただし、『倭姫命世記』は古代の出来事をそのまま記録した同時代史料ではない。鎌倉時代に成立した伊勢神道関係の文献であり、伊雑宮や磯部氏に伝わった由緒を理解するための伝承史料として読む必要がある。現在の伊雑宮は、天照坐皇大御神御魂を祀る皇大神宮の別宮である。したがって、伊佐波登美命を伊雑宮の現祭神とするのではなく、伊雑宮創祀の物語に登場する土地の神・磯部氏の祖神として位置づけるのが適切である。
出典・参考:『倭姫命世記』、神宮司庁「伊雑宮」
三重県鳥羽市安楽島町の加布良古崎には、志摩国の式内社に比定される伊射波神社が鎮座する。現在は伊佐波登美尊を主祭神とし、玉柱屋姫命・狭依姫命・神乎多乃御子神をあわせて祀っている。社伝では、伊佐波登美命を志摩の国土開拓に功績を残した神とし、土地を守る祖神として崇敬してきた。神社は海に突き出した岬にあり、参拝には海岸沿いの道を進む。その立地そのものが、伊佐波登美命の信仰が農地だけでなく、海上交通や漁業と深く結びついていたことを示している。
伊射波神社の祭祀は、はじめから現在地だけで営まれていたとは限らない。三重県神社庁の由緒によれば、伊佐波登美尊を祀る本地はかつて安楽島の別の場所にあり、平安時代末頃に加布良古崎へ遷されたという。また、沖の島に祀られていた神乎多乃御子神社が水没したため、その神を合祀したとも伝える。複数の海辺の祭祀が一社に集められ、伊佐波登美命を中心とする現在の信仰へ整えられていったのである。
出典・参考:『延喜式』神名帳、三重県神社庁教化委員会「伊射波神社」
出典文献
倭姫命世記
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
いざわのかみ
延喜式
伊佐波神いざわのかみ
延喜式
伊佐波登美命いざわとみのみこと
その他
伊射波登美命いざわとみのみこと
その他
伊雑大神いざわのおおかみ
その他
祀られている主な神社
伊射波神社
(三重県鳥羽市安楽島町1020)
鶴明神社
(埼玉県坂戸市森戸512)
天祖神社
(東京都中央区八丁堀三丁目6番6)
西塚神社
(静岡県中央区西塚町307-7)
水竹神社
(愛知県蒲郡市宮城町6-49)
