平教経
たいらののりつね
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野元信 - 赤間神宮所蔵(パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1160年~1184年または1185年]
平教経とは?
平教経(1160-1185)は平安時代末期の武将。「王城一の強弓精兵」と讃えられる平氏随一の剛将であり、しばしば源義経の好敵手として描かれる。木曾義仲の挙兵に呼応して討伐軍を繰り出した倶利伽羅峠の戦いでは平氏は大敗し、宇治橋の警護に当たっていた教経もまた一門に従って都落ちとなった。讃岐国(香川県)屋島に本陣を敷いた兵士に対して義仲は追撃を賭けるが水島の戦いでは教経の力が功を奏し義仲軍は敗退、義仲は東国より攻め上った源氏に討ち取られ滅亡した。その後も源義経を大将とした源氏の軍勢と度々戦を交えることになる。一の谷の戦いでは大敗、平氏一門の多くを失うことになる。続く屋島の戦いもまた平氏の敗戦であったが、教経の奮戦で源氏軍は大いに苦しめられた。平氏最後の戦いとなる壇ノ浦では、平氏の敗北が決定的となり、安徳天皇が海に身を投げると平氏の残党も次々と入水した。その中で教経は源氏の大将である義経を討とうと船から船へ乗り移り追いかける。義経がこの教経の追撃を逃れるために船を飛び移る様が「義経八艘とび」として後の世に伝えられている。 教経は兵庫県神戸市にある鎮守稲荷神社に祭神として祀られている。鎮守稲荷神社の境内には祀る五輪塔があり、教経終焉の地と伝えられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
平国盛たいらのくにもり
その他
