楠木正勝
くすのきまさかつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川芳虎 - 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵(パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
南北朝 [1351年~1400年]
楠木正勝とは?
楠木正勝(1351-1400)は南北朝時代の人物。楠木正儀の子で、楠木正顕らの親。楠正成の孫にあたる。明徳の和約の頃、南朝方の総大将に就いた武将として知られる。同じく南朝の総大将を務めた父・正儀譲りの名将で、「後太平記」によれば正勝はかの太公望呂尚に喩えられるほど優れた戦術家であった。ところが当時すでに南朝の勢力は弱り切っており、正勝の力をもってしても対局を覆すのは難しかった。1388年の平尾合戦では正勝の軍までが大敗を喫し、さらに1392年の戦では楠木氏の本城・千早城を喪失してしまう。同年10月にはとうとう南北朝が正式に統合してしまうが、それでも正勝は室町幕府に徹底抗戦を続けた。しかし抵抗虚しく、正勝は応永の乱の敗走中に傷を負って死亡。南朝復権の野望は叶わなかった。仏教界には「正勝は戦いの中で諸行無常を悟り、晩年は仏僧として活動した」という伝承がある。普化宗中興の祖・虚無(虚無僧の語源となった人物)の正体は、出家後の正勝であるという説も。 茨城県大子町の山中には「笠置神社」と呼ばれる小さな祠がある。これらは正勝が後醍醐天皇を祀るために建立した祠とされ、後年には正勝自身もここへ合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
笠置神社
(茨城県大子町上郷1705番地1)
