桜山茲俊
さくらやまこれとし
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉 [~1332年]
桜山茲俊とは?
桜山茲俊(?-1332)は鎌倉時代の人物。出自は不明な点が多く、一説では亀寿山城主の宮氏の一族と考えられている。後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕を企てた際、楠木正成の呼びかけに応じて備後国(岡山県)にて挙兵。吉備津神社近くの桜山城を城郭として立てこもるうちに軍勢は増え、一時は備後国の半分を制圧するまでに至った。しかし、陶山義高らが笠置山に攻め込み後醍醐天皇を捕らえ、さらに楠木正成が戦死したとの誤報が入ると、途端に加勢していた国人たちが離れていき形勢は不利に。最期は周辺の御家人に攻め込まれ、備後国吉備津神社にて一族郎党を皆殺しにしたうえ、神社に火をかけ、自身も切腹して果てたという。太平記には、茲俊が挙兵した理由を己が厚く信仰するも社殿の破損がひどかった吉備津神社の造営を願ってのことと記されている。大事業故財力が足らず、その望みを後醍醐天皇にかけるも、討幕運動は失敗に終わる。そこで己の討ち死にと合わせて社殿を焼き払えば造営もやむなしとなり、願いが叶うと考えたとされている。実際、1376年には吉備津神社の本殿が再建されており、これらの史料からも明治期には茲俊は南朝の忠臣として評価されるようになった。 茲俊は桜山神社(岡山県岡山市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
