源融
みなもとのとおる
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング776位
- 公卿
平安 [822年~895年]
源融とは?
源融(822-895)は平安時代前期の公卿・文人。嵯峨天皇の第十二皇子であり、臣籍降下して源朝臣姓を賜ったことから嵯峨源氏の一人となった。左大臣まで昇進したことから河原左大臣とも称される。幼少期から学問や和歌に秀で、朝廷内で着実に昇進を重ねた融は、仁明・文徳・清和・陽成・光孝宇多の各天皇朝に仕え、太政官政治の中枢を担った。特に宇多天皇の時代には重臣として大きな影響力を持っていたとされる。 融は政治家としてだけでなく、王朝文化を代表する風流人としても知られている。京都六条河原院に築いた広大な邸宅は特に有名であり、陸奥国の名勝・塩竈の景観を再現するため、難波から毎月大量の海水を運ばせて塩焼きを行わせたという逸話が残る。この河原院は後に『源氏物語』に登場する六条院のモデルの一つになったともいわれている。また、融は和歌にも優れ、『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に作品が収録されている。雅やかな生活を送る一方で、死後には河原院に融の亡霊が現れたという怪談も広まり、『今昔物語集』などにも記述が見られる。こうした伝承から、融は王朝貴族文化を象徴する人物として後世まで語り継がれてきた。 源融を祀る神社としては、融神社が知られている。融神社は、源融の別邸であった河原院跡地周辺の伝承と関わりを持つ神社であり、平安貴族文化や王朝文学ゆかりの地として語られている。また、源融は『源氏物語』の光源氏のモデルの一人ともいわれており、雅やかな王朝文化を象徴する人物として現在も知られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
融大臣とおるのおとど
その他
祀られている主な神社
琴浦神社
(兵庫県尼崎市琴浦町21番)
亀岡神社
(長崎県平戸市岩の上町1517)
融神社
(滋賀県大津市伊香立南庄町1846)
